2013年9月5日木曜日

セーシュンは人生の夏休みだ! 〜高島俊男『漱石の夏やすみ』



いやー、終わりましたね夏。

子どもの頃は長ーい夏休みが楽しみでしたが、大人になってしまうとせいぜい一週間程度のお盆休みをとるくらい。

しかも僕などは殺人的暑さにおそれをなしてほとんどどこへも出かけず、冷房の効いた部屋にこもりっぱなしでした。

去りゆく夏を惜しみながら今回取り上げたのは高島俊男『漱石の夏やすみ』(ちくま文庫)です。

文豪夏目漱石が23歳の学生時代の夏に学友らと房総方面を旅した体験をつづった「木屑録」。

原典は漢文で書かれていますが、著者高島氏はこれを分かりやすく現代語訳、そして詳細な解説をつけています。

この「木屑録」は漱石が親友であった正岡子規にあてて書いたものとされています。旅先でものした詩や軽妙な文章を、同じ文学をこころざす子規に披露する様子に二人の友情が感じられ、微笑ましくなります。

また旅の空で浮かれ騒ぐ友人たちの輪から少し離れ「文学とは、人生とは」と思索にふける自らの姿も漱石は木屑録に書き残しています。やや誇張気味な感じもありますが、若き日の漱石青年、日常を離れた旅先で少しおセンチになっているようです。異郷の情景を詠んだ自作の詩も青くささがプンプン。いやー若いっていいなー。

「オレは文学を追究しなければならないのに、こんなところで無為に過ごしていていいのだろうか・・・?」そんな焦りが随所に顔を出し、理想に燃える若者ならではという感じです。

著者高島氏は「木屑録」を解題しながら、既成の漢文解釈に疑問も投げかけており、漱石からやや離れますが漢文全般に対する興味深い論評ともなっています。

たしかに高校で習った漢文て堅苦しくてとっつきにくいイメージがありましたもんね。高島氏はこれをもっとくだけた表現にしてみてはと提言しています。

若き日の漱石が残した習作「木屑録」には、軽妙さを装いながらも真剣に悩む若者の姿がかいま見えます。それは時代を隔てたいまも同じでしょう。

社会に出るまぎわの二十歳前後の頃というのは、その後の山あり谷ありの人生を前にした、夏休みにあたる時期なのかもしれません。ついダラダラ過ごしてしまう夏休みと同じように、若かった頃は無駄に送ってしまったと僕らは後悔してしまいがちですが、その膨大なムダの中にその後の人生で役に立つものが何かしらあるのではないか・・・そう思いたいもんです。