インターネット出身、社会批評に携わる著者は
富裕層、貧困層の二極化が進む一方の「平和」な社会に異議を唱え
戦争によってもう一度世の中がリセットされることを待望する。
いまの世の中では自分たち弱者は生活の向上など望めず、人間としての尊厳も奪われ、
このまま生きながらえても末はホームレスか首を吊るしかない。ならばいっそ戦争でも起きたほうが…。
こんな論旨の「31歳フリーター、希望は戦争」という文章は大きな反響を呼び、職者からさまざまな意見が寄せられたということです。
たしかに暴論といえば暴論にも思えますが、貧困層の苦しみはそこまで深刻化しているのだと著者はいいます。
ジャーナリズムが煽りたてる「俗流若者論」を著者はまず攻撃する。本当に少年犯罪は増えているのか、昔はいまよりも凶悪犯罪が少なかったのかをデータをつかい検証を試みる。
さらに監視カメラによる不審者締め出しにも言及し、
「安定した地位にある層が中高年フリーターやニートなど「うさんくさい」連中の行動を警戒している」と指摘。
著者の持論にはやや私怨がまじっている印象もありますが、同じ弱者の目線から見た実感がこもっています。
朝日文庫刊の本書の冒頭、著者はみずからのプロフィールをこう紹介します。
文化とは疎遠な北関東の小さな町に育ち、社会へ出る頃にはバブルがはじけて就職氷河期、
東京でカルチャーに関わる仕事に就きたくても、地元を出て自立する生活力もなく
アルバイトで生計をたてながら細々とライター活動を続けている…
なんだか僕と境遇がよく似ています(事実、著者は文中で「このような人間はクサるほどいる」と書いています)。
ただ、この著者と僕のあいだに一点ちがいがあるとすれば、著者が現状を悲観的にとらえているのに対し、
僕はわりと現状を楽しんでしまっているという点でしょう。
もちろん年収への不満とか将来への不安はふつうにありますが、それは正社員になれば霧消するというものでもないでしょう。
リストラや倒産の不安は常についまとい、責任はフリーターより重くなる。しかも簡単なことでは辞められないという重圧感。
等々をテンビンにかけて現状もまあ悪くはないと思っているのですが、いつか大きなシッペがえしがくるかもしれませんね…。
最近僕はとある劇団の公演のために芝居の台本を書きましたが、その中で自分をモデルにしたような中年フリーターに
「いいか見てろ。大きな地震が来て世の中の仕組みが全部がらがらと崩れたときには、そのときは俺だっておおいに実力を発揮する。ああ、早くそんな日が来ないかなあ…」
というセリフを言わせました。
もちろんあの震災のあとなので観客にどう受け入れられたか定かではありませんが、
この「地震」と「戦争」を入れ替えれば、僕と本書の著者の考えは非常に近くなるような気もしました。
世の中がいまのままでは一生這い上がれそうにない人間たちは、
硬直した現状に変化を与えるためとあれば、それが戦争だろうが地震だろうがカタストロフを待ち望むのかもしれない。
震災後、著者はいったい何を考えたのか。過激とも思える持論はどう変化したのか。それは文庫版のあとがきで。
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